SSブログ

どこまでいっても美しい茶畑 牧之原台地はそんなところ [農家が歩く東海道]

農家が歩く東海道

(梨農家が旧東海道を歩き、感じたことを綴ります)
今回は静岡県島田市「六合駅」~掛川市「掛川駅」の旧東海道を歩いてきました。
DSCN8745.JPGIMG_4093.JPG
どこまでも続く茶畑を歩いていて、この土地でどうして茶栽培が盛んなのだろうと思いました。
調べてみると面白い歴史が、牧之原市のホームページにありましたので紹介します。
 徳川慶喜が大政奉還により、駿府に隠居しました。慶喜を護衛していた士族が版籍奉還(明治2年)で職を失い、生活のために始めたようです。その数年後には、大井川の川越し制度廃止により、1300人の川越え人足が失業し一部の人々は茶栽培を始めたとのこと。
DSCN8741.JPG今回の地図.jpg
石がゴロゴロまじり、決して農業に最適な土質ではなさそうですが、当事 輸出品として人気のあったお茶が選ばれて、産地が形成されました。大政奉還を含め、時代の変革が地域の産業に大きな影響を及ぼしたのですね。台地では水を確保することも困難であり、農業をしたこともない士族を苦労を重ね、茶栽培を始めた考えると、もっとしっかり味わってお茶を飲もうと思います。
牧之原市の茶栽培の歴史は新しく、明治の初期とのことです。徳川慶喜は大政奉還により、駿府に隠居しました。 同行した家臣(精鋭隊)は明治2年の版籍奉還(藩が持つ土地と人を調停に返還する政策)により、職を失ってしまいました。
職を失った士族、300人は牧の原台地における茶栽培をするために開墾をはじめた。明治3年には、大井川の川越し制度の廃止により、1300人の川越え人足も職を失いました。その一部の人も茶の栽培をはじめました。茶栽培に活気がでてくると農民も進出するようになりました。
その後、深蒸し茶製法により、芳醇な香りを持つ「静岡牧之原茶」は日本全国に知れ渡り、ブランドとして定着しました。(牧之原市ホームページよりhttp://www.city.makinohara.shizuoka.jp/bg/profile/ent/1089.html)

nice!(0)  コメント(0) 

nice! 0

コメント 0

コメントを書く

お名前:
URL:
コメント:
画像認証:
下の画像に表示されている文字を入力してください。